筑紫詰所の歴史

昭和5年8月、湖東大教会より分離のお許しを戴いたことより丹波市河原城378番地の旅館・精華楼を買収し、翌6年1月11日に筑紫詰所を開設した。

起工式

教祖50年祭、立教100年祭活動の盛り上がりで帰参者、別科生(現修養科生)の増加で手狭になり、昭和6年6月、山名詰所の北隣の土地約3500坪を名京大教会より購入。7年10月6日、ご本部より詰所建築のお許しを戴き秋季大祭時に起工式を行った。

この後、炊事場、食堂、浴場、学寮(別科生宿舎)のふしんにまずかかり、昭和8年3月に事務所を移転し同8年春頃に学寮、炊事場、食堂が竣工同年10月3階建信者室北棟竣工。昭和9年4月、3階建信者室南棟竣工。この後、本館工事にかかり、最後に会長宅が完成し、昭和10年4月27日詰所開所式を行った。

当時、木造3階建の壮麗な建築として人々の耳目を集め、新聞で紹介されたこともある。昭和15年に朝倉、16年に西海が筑紫より分離して大教会へ昇格した後は、両大教会の詰所も併設された。

戦時中は第22寮と改称され、19年5月に海軍航空隊(予科練)に接収され第39寮(大江詰所)と合併した。
戦後の昭和25年10月には、朝倉大教会詰所移転に伴い、長らく修養科生が起居していた学寮が譲渡されて解体移築された。29年には西海詰所が移転。この後、天理高校の学寮として建物の1部が何度か使用されたこともある。
数多いおぢばの信者詰所の中で、創建当時よりの建物全体を使用しているのは他に類を見ず、昭和初期の木造3階建ての建築として貴重な財産といえる。